「文系と理系」「右脳と左脳」と数学について
よく「文系 or 理系」と分類されることがあります。
大学では学部が分かれており、その学部で主に学ぶ対象学問の違いによって、入学試験で問われる科目が異なってくるためです。
一般的に、国語・社会を文系科目、数学・理科を理系科目、と分類されることが多いでしょう。
多く聞かれるのが、「数学が苦手だから文系に進んだ」というケースで、
またまれですが、「国語が苦手だから理系に進んだ」という人もいたりします。
また似たような話題として、「左脳 or 右脳」が取り上げられることもあります。
一般的な解釈では、
左脳 → 言語、構造、ロジック
右脳 → 感情、感覚、イメージ
と対応づけされることが多いでしょう。
数学は、数字や記号を使うことが多いのは確かですが、その根底にあるものは、言語体系です。
そしてそれは、国語的な能力そのものです。
ですので、「数学が苦手だから国語を選ぶ」というのは、本来は間違っているのです。
数学が本当に苦手であれば、国語も本来はできないはずなのです。
その逆で、国語的な力が弱い人は、本来の意味で数学が得意になることはありえません。
「左脳と右脳」についても同じようなことが言えます。
数学には当然「左脳」的なロジックは欠かせませんが、それと同じくらい、いわゆる「右脳」的なイメージ力や推測する力というのも重要になってきます。
幾何(図形)はまさしく空間やイメージの世界ですし、すべて数式や言葉で書かれた数学であっても、論証を先に進めていくうえで、イメージや推測は重要です。
(単純な公式を当てはめるだけの問題や、パターンで解ける問題は、本来の意味での「数学」とはいえないので、ここでは考慮していません)
つまり、何が言いたいのかというと、
「数学が苦手だから文系」とか「右脳人間だから数学は無関係」ということではなく、知的生産を目指すすべての人にとって、数学的な思考や取り組みは欠かすことはできない、というのが私の考えです。
もっと言うなら、「文系人間」という分類の仕方はナンセンスだし、「右脳派・左脳派」ということと数学の得意・不得意は全然無関係です。
例が極端ですが、かのレオナルド・ダ・ビンチは、芸術家として大成をおさめた一方、科学分野でも数々の業績を残しました。
数学から「逃げる」のではなく(数学から逃げたくなる理由も理解できます。それについては、また別の機会で…)、勇気を出して数学のエッセンスを探ろうとする姿勢が大切だと思います。
そして、数学は何も中学生・高校生だけのものではありません。
日々数学を感じる機会が少なかったとしても、数学的素養は必ず実生活やビジネスに活きてくるというのが私の考えでありスタンスです。
じゃあ、そうすれば数学が身近になり、あわよくば好きになれるのか?
それを、このブログで追及していきたいと考えています。