「美術と数学」に共通する本質

先日、美術に詳しい方とお話しする機会がありました。

その中で、次のような会話がありました。

 

「私は、美術は勉強してきましたが、数学は全然ダメでした…笑」

「先生は数学をされていますが、美術にご関心はおありですか?」

 

その方はきっと、「美術と数学は遠くかけ離れたもの」「美術と数学は対極にあるもの」のようなイメージを持たれていたのでしょう。

 

私は絵の鑑賞は好きで、美術館にもたまに行ったりするのですが、正直言って、美術に関する造詣は全くありません。

それをお断りしたうえで、次のようにお答えしました。

「私も美術は好きです。そして、美術と数学ってかなり似ていると思います」と。

 

すると、その方は少し驚いた様子でしたが、その後に続き、私は次のようなニュアンスをことを話しました。

 

美術も数学も、ある一つの(あるいは複数の)ことを表現するという意味では同じだと思うんです。違うのは表現の仕方やその方法であって、片方は、数字・記号・言葉を使って論理を築いていくのに対し、もう一方は、絵具や筆、キャンバスを使って、視覚的な完成物をつくります。

そしてそこには、その人自身の個性や考え方、こだわりみたいなものが色濃く表れてきます。

つまり、「自己の表現」という意味では数学も美術も共通していて、違うのはやり方や使うものだけなのではないか、というのが私の感覚です。

 

以前に記事『「文系と理系」「右脳と左脳」について』でも似たようなことを書きましたが、「数学=ロジック」「美術=感性」というような完全に分離した、相反するものではないと思うのです。

すなわち、数学でもイマジネーションや感性は重要ですし、おそらく美術でもロジック的なもの(つまり、絵を描くときは、こういった順番でこういう方法で描いた方がきれいに描ける、といったこと)はおそらく存在するでしょう。

 

数学と美術というのは、一見正反対なもののようでありながら、実は扱う本質は同じで、ただ単にその見る角度が違うだけなのではないか、というのが私の考えです。

 

これは仮説ですが、例えば普段から絵を描いている人が数学を学ぶ(あるいは数学的な思考に慣れる)ことで、自分の作品に何かしらの影響を与えることができるのではないか?仮に数学と美術で共通する本質があるのなら、数学的な感覚を養うことでより本質に近づき、そのことによって美術的な方向にもその「本質」が反映されるのではないか?

 

そしてもしそれが正しければ、対象は美術だけに留まりません。

例えば、料理でもいいですし、何かしらのスポーツでもいいでしょう。音楽でもいいですし、それ以外でも自分が打ち込んでいる趣味があれば、それをイメージしても良いかもしれません。

その中には必ず「数学的本質」の要素が、多かれ少なかれ含まれているのではないだろうか、そんな風に思うのです。そして、数学を学ぶことによって、自身の普段の活動の中に新たな発見を得ることは、十分にあるのではと思います。

 

 

「数学は自分の生活や世界には全く関係のない、完全に自分の「外」にあるもの」という考え方は、せっかくこの世に「数学」という素晴らしい財産が存在しながら、それを見過ごしているわけで、とってももったいないことだと思うのです。

 

数学というものにずっと携わってきた私だからこそ、自分がその中で恩恵として得てきた感覚を、その価値を、何とかして多くの方に伝え、そして同じ感覚を少しでも共有できれば…。

このブログは、まだまだ続きます。